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コンビニのおばちゃん

  • 2007/05/14(月) 10:48:15

すがすがしい朝とは対照的な気だるい体を引きずり起こして会社に向かう。
いつもと同じ朝だと思ったんだ。このときまでは。


いつもと同じ時間に家を出て、いつもと同じように自転車を漕ぎ、いつもと同じように会社に向かう道を一旦外れていつものパン屋に寄る。
そこで、いつもと違うことが起きる。
"臨時休業 14日(月)、15日(火)”
これが私をコンビニに向かわせる罠だったのかどうか・・・。未だにわからない。


ないものは欲しくなるのが人間だ。
私の食欲も例外ではなく、私は思った。
「パンが食べたい」
私はコンビニに寄ることにした。


この場所から少し遠回りになるが会社に向かう道にあるコンビニに行くか、来た道を戻る途中にあるコンビニに行くか少しの間迷ったが、体力消費が少ないことを理由に後者を選んだ。
来た道を150mほど戻るとコンビニがあった。
先ほど通った時に開店していることは確認済みだ。
自転車を止めて鍵を掛け、入り口に向かうと丁度同じタイミングで初老の女性がコンビニに入るところだった。
私は無言で女性の前に割り込み、ドアを手前に引いて開けた。
女性が「あ、すいませんね」といって中に入るのを笑顔のまま確認し、続いて自分も中に入る。
この行動がこの後自分をどれだけ苦しめるか・・・知る由もなかった。


目的はパンと牛乳を購入することだ。
私の嫁は蕎麦を食べる時も焼肉を食べる時も牛乳を飲む。
私にはその感覚を全く理解できないが、しかしながら、パンには牛乳である。
店内をうろつき、パン売り場を見つける。
早速品定めをしたいところだが、その近くに先ほどの女性が弁当を選ぶ姿が見えた。
故に私はパン売り場に近づけないでいた。
電車で老人に席を譲った後の場の空気を思い出していただけるとわかるだろう。
因果応報とは良いことをすれば良いことが返ってくるという教えのはずだが、先ほど入り口で親切にした女性が今、私のパン選びを阻害している。
そんな理不尽さを感じながら、私はパン選びをあきらめ牛乳を先に選ぶことにした。


そうと決まれば急いで牛乳売り場に行かなくてはいけない。
もし、牛乳売り場に移動する間に女性が牛乳売り場に近づいたとしら大変なことになるからだ。
私は女性を避けるため、店内をぐるりと一周遠回りするようにして牛乳売り場に向かった。
女性は未だに弁当選びに夢中なようで、私が牛乳売り場に移動したことに気づいていないようだ。
「ふっ。先手を取ったぜ。」
私は優勝カップを手に取るように勝利の牛乳を手に取った。
しかし、すぐにそれはぬか喜びであることを知った。
なぜならば、女性は毅然としてその場を動かなかったのだ。
その場を動かないということはすなわち私がパン選びを阻害されることに他ならない。
女性ははじめから全て見抜いていたかのように全く動かずして完全優位に立っていたのである。


私は狼狽しきっていた。
なぜ女性は動かないのか。
なぜそんなにも私の行動を阻止するのか。
女性を老人扱いしたのが気に食わなかったのか。
さらに、私にもう一つのプレッシャーが押し迫っていた。
「このままでは遅刻してしまう!」
私は自分が通勤の途中であることをすっかりと忘れていた。
ここから会社までは約5分、大通りを渡る信号につかまれば7分かかる。
会計に1分かかるとして最低でも6分、できれば8分の時間が必要だ。
そして現在の時刻は、、、8時18分。
出勤時間まであと12分。余裕は5分しかない。


全て自分ひとりの勇気ある行動だ。
と思いたいところだが、時間というプレッシャーが私を後押ししてくれたのだと思う。
私は冷静だった。先ほどまであんなに狼狽していた自分が嘘のように。
女性の後ろを通る時、私は神に祈るしかなかった。
ただひたすらに「振り向かないでください。話しかけないでください。」と。
祈りが通じたのかどうかはわからない。
しかし、実際に私はパン売り場の前に立っていた。
右後ろの1.5m先には女性が立っている。
私は女性の後ろを通り過ぎたのだ。
私は決して振り向かず、パンを選んだ。
いつもなら一通り全てのパンを見て栄養学的な見地からの考察も含めた上で決定するところだが、今日は目に付いたいくつかの内の2つを手に取った。
すぐにその場を去り、レジへと向かう。
私の完全勝利の瞬間だった。




レジにて、パン2個と牛乳をレジの女性に渡す。
40代半ばといったところか。早くはないが慣れた手つきでレジを打つ。
パン2個と牛乳を袋に入れながらレジの女性が尋ねてきた。
「ストローお付けしますか?」
答える
「あ、、、お願いします。」
すると、ストローが入っている引き出しを開け、おもむろに割り箸を掴み袋に入れる女性。
・・・。・・・・・・・。第二の試練である。
この女性は「”ストロー”お付けしますか?」と言った。
私は「お願いします」と言った。
しかし、袋の中に見えるのは明らかに割り箸。
このような時、人間がまず考えることは自己の正当性の確認であることを知った。
箸で食べるパンは含まれていないか。
箸を使って飲む牛乳は含まれていないか。
箸とストローがセットになっていないか。
袋に入っているのは2本セットの茶色くて長いストローではないか。
その結果、袋に入っているのは間違いなく割り箸onlyであり、どれをとっても自分に不当性は見当たらないのだ。
つまり、相手のミスである。


自分の正当性を確認すると次に、選択肢が迫ってくる。
言うべきか、言わざるべきか。
箸を貰っても箸を使うことはないだろう。
ストローがないのは大した問題ではないが、箸は要らない。
言うべきか、言わざるべきかならば環境保護の側面から見ても「言うべき」が解答になる。
すると、この質問は一転する。
「言える」か「言えない」か。
これこそが試練であった。
言わなければ波風立てずに何事もなかったことになる。
言わなくても大した問題ではない。
しかし、言うべきこと。
正しく生きよう。そう決意したのは何年前だろうか。
その決意を胸に私は満面の笑みで口を開いた。
「あの、箸じゃなくてストローが欲しいんですけど」
正に的確!100点満点の発言であった。
「あらやだ!間違えちゃったわー!」
”あらやだ”と言う言葉を使う女性を何年ぶりに見ただろうか。
レジの女性の解答もまた100点満点であった。




会社に着き、パンを食べながらふと考える。
私のパン選びを阻害していたあの女性。
あの女性の後ろを通る勇気があったから割り箸をストローに替えてもらう勇気が出たのではないかと。
私は親切にした御礼を何十倍にもして返して貰ったのかもしれない。

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